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生命保険のこと

 ・妹の件で知らせを受けた時点では、現場(妹の居宅)は、警察が捜査をしていたので、すぐに立ち入ることはできなかった。何日か経って、室内への立ち入りが許可され、状況の把握と片付けのために現場を訪れたときに、とりあえず確保してきた書類の中に、保険関係の書類が数通あった。 ・後日整理してみたら、すでに解約済みと思われたものが一件(その後解約済みと判明)、契約が続いていると思しきものが二件、の契約があることが分かった。その後の捜索で、契約継続中と思しき二件のうち一件の解約についての書類が発見されたため、その時点で契約が残っていたのは一件だった。保険会社や営業所、担当者もわかり、連絡したところ無茶苦茶驚かれた。 ・まだ妹の担当について日が浅く、妹とは電話だけで、まだ対面できていなかったそうだ。それがこんな状況になったら驚くだろう。申し訳ない。残った一件は年金保険。死亡時に支払われる金額も確認した。葬儀費用や片付けの諸々はある程度カバーできそうだった。 ・もう一件、後から解約書類が見つかった一件は、死亡時保険金がかなりの金額だったのだが、それを途中解約して原資として、年金保険に切り替えたようだった。「解約することなかったのに…」と、以前生命保険関係の仕事をしていた奥さんが残念そうにつぶやいた。 ・受取金額は下がるが、月々の負担を減らす手法もあったという。「何で相談してくれなかったかなー」「一度もなかったね、相談」というのが私と妹の関係を表しているのだった。保険金の受け取りの手続きを進めようとしたが、この時点では、何度も書いているが、書類がそろわず、手続きは止まっていた。 ・年が明けてひと月、ようやく手続きが再開できるのである。あんまりめでたくはないけど。

手続きを進めるぞ

 ・葬儀の日は、朝から一日長かった。ぐったりして帰宅。夕食とかどうしたんだっけ、記憶がない。納骨の日の記憶は結構残ってんだけど。 ・遺骨をどうしようか考えたが、安置しておく場所なんかないぞ。と思っていたら、奥さんが仏壇の引き出しのあたりをごそごそやってる。何やら仏壇下の収納部分の左側。開き戸で、開けると何段かの棚板があるのを外すと天地が広くなるのを発見。収納部の幅も骨壺の入った箱が収まる幅だった。 ・狭くて申し訳ないが、妹にはしばらくこの中に納まっていてもらうことにした。その場所に入っていたのは、父が残していた母親の闘病・介護記録のノート。100冊近くあるので、これも早く記録を整理してSCANでもしなければならんのだが。奥さんはそんなもの早く捨てろというが、そうはいかない。私の人生の一部が含まれているのだ。 ・父のノートを別の箱に移して自室に確保。妹の遺骨と、残された書類を仏壇の下に収める。やれやれ。でもこれで終わりではない。死亡届が出せたので、銀行口座の解約や、スマホの解約など、懸案だった手続き関係がいよいよ進められるのである。ちなみに、妹が加入していた保険の保険金を受け取るための手続きは、検案書の提出で可能だった。「一刻も早く」という受け取る側のニーズに応えてくれているのはありがたい。

いよいよ葬儀ー2

 ・骨壺に収まった遺骨を箱に入れてもらい、係員の方から受け取る。何度経験しても、重いのか軽いのかわからなくなる。感じているのは物理的な重みだけではないからだろう。 ・骨壺をリアシートに乗せ、一応安全ベルトをかけてお寺に向かう。予想より火葬が早く終わったので、ご住職に少し早く着くかも、と連絡。天気は良く、少し汗ばむぐらいの日差しだった。3シーズン用の礼服だったので、寒かったらどうしようかと思ったが、杞憂だった。 ・道はあまり混雑しておらず、思っていたよりもかなり早くお寺の近くについてしまう。いくら何でも早すぎるので、昼食をとることにした。そう思うとなかなかお店が見つからない。高校卒業後には、友達とうろついて遊んでいたあたりなのだが、今となっては何が何やら、どこがどこやらわからない。 ・車が停められそうな様子だったので、コメダコーヒーに入る。遺骨にはしばしお待ちいただき、軽く飯を食う。緊急事態宣言はまだ出ていたと思うが、入店待ちの行列ができていた。その後の状況は全く予断を許さない状態だったと思うが、みんなそろそろ我慢の限界になってきた時期だったっと思う。 ・食事を終わって店外に出たら、入店待ちの行列は延びていた。人の列をかき分け車に戻り、お寺に向かう。お寺につくと、本堂の入り口で住職が待ち構えていた。「早く、妹さんをこちらに」と招く。ご住職てづから、妹の遺骨を受けとり、本堂に安置してくれた。この時、本堂に続く階段に、うっかり土足で上がってしまい、「あー、ダメダメ、気をつけてよ」と住職に大声で怒られた。ごめんなさい。 ・「ご本尊の前なら、特等席ですよ。これで妹さんも安心だ」と言いながら、住職は法要の準備を始める。いえいえ、安心なのは私の方です、ありがとうございます、と思いながら一家3人で席に着く。 ・母の時、父の時よりかなり長い時間お経をあげていただいたと思う。妹についての言及も、心にしみるものであった。焼香をすませ、一時間ほどで法要は終わった。その後、住職に事情説明。今後、妹を慰霊するにはどうすればいいのかなど伺う。 ・「ここまでやってあげたんだから、大丈夫」と言われ、泣く。住職の言葉に泣くのはこれで3回目。ありがとうございます。息子は以前父親の3回忌で住職に会っているのだが、その時の子供と住職の前に座っている中学生がどうしても結びつかないらしい。たまに会ったら...

いよいよ葬儀

・関係各所の調整がつき、妹の葬儀が行えたのは、もうすぐ2月になろうかという頃だった。警察から連絡を受けてからほぼ3か月。命日(と思われる時期)からだと4か月かかった。待たせて申し訳ないが、こちらではどうしようもなかったことが多すぎた。理解してもらえるといいのだが。将来、話をする機会があれば説明したいと思う。 ・火葬場は多摩地区にある大規模な墓地に隣接したところ。いったことはないが、カーナビの指示でたどり着く。なかなか大きな施設だった。この日も多くの葬儀があるらしく、駐車場はほぼ満車。係員に誘導され隅っこに入り込んで駐車。 ・待合所のようなところに案内され、葬儀屋さんの担当者の到着を待つ。駐車場に面した施設の建物の軒先に、数人の僧侶の方々が佇んでいた。あとでわかったのだが、そのうちにのお一人が、妹の引導作法をお願いした方だった。 ・しばし待機の後、葬儀屋さんの担当者が到着。いよいよ火葬です。遺体収容袋越しでしたが、久々の対面。コロナ禍になり、このような別れになるケースが多いということは何度も聞いていたが、自分が妹とこんな別れを迎えることになるとは…。 ・これまでは多忙に紛れ、どこか他人事のようだったこの事態のとらえ方が、この時に変わったような気がする。これまでのと同じような生活にはなかなか戻れないだろうな、と強烈に感じた。 ・お経をお願いした僧侶の方に挨拶。千葉ニュータウンの方から来ていただいたそうで、この時間にここにいるには、何時に出発されたのか気にかかる。葬祭業界のシステムもなかなか奥が深い。 ・いよいよお別れである。炉(と言うのかな)に入ってから待つこと数十分。これまでの経験からするとかなり早く、収骨になった。僧侶のお経と共に収骨は終わり、事前の打ち合わせの通りの経済的やり取り。 ・骨は結構立派なものだった。もともと大柄なやつだったが、病気で何か、ということはなかったようだ。まあ、素人なのでわからんけど。ようやく一歩事態が進み、安心感があったのは確かであった。

手続きを進めるために

・死亡届を提出すると、それが妹の本籍地にある妹の戸籍に反映される。いわゆる全記録という書類となるのだが、名義人本人が死亡している銀行口座を代理の人間(私だが)が解約しようとすると、その書類が必要になる。もちろん私が何者かを証明するために、私の戸籍謄本も必要になる。 ・今回は相続が絡んでいるので、私以外に相続人がいないことを証明するため、妹の両親、祖父母の代までの戸籍謄本を入手する必要があってややこしい。父が亡くなった時にも祖父の出生から死亡までの戸籍を取り寄せたのでどうすればいいのかはわかっていたが、母方の祖父母の方は本籍がどこだか把握しておらず、慌てて母方の従妹に確認。すぐに教えてもらい事なきを得たが、自分で取りに行く手間と時間を考えた結果、専門の業者の方に頼む。 ・お金はかかったが、結果としては良かった。で、その他にもいろいろ相談することになるのだ。